第4回 - 桂春團治さん(落語) - 1999-08-29
【6代目松鶴、おやじを語る】

「『大阪に若手の落語家が少ない。おまえちょっとやってみいへんか?』と言われ、28歳で落語の道に入った。5、6人若手がでたらやめようと思ってたのに、5、6年経ったら先輩が次々死んでしまい、さらに、父・が病に伏せってしまい。『まだ死にとうない。大阪落語を残すために、好きな酒やめてでも、後10年生きたい』と言っていたが、しばらくして、死んでしまった。その後2代目春團治が亡くなったとき、奥さんが私(6代目松鶴)と3代目春團治の手を握らせて、こう言った。『6代目と3代目が力を合わせて大阪落語を守っていくから、安心していってくれなはれ』こう言われて、ああ、3代目と力を合わせて大阪落語を守っていこう、と強く思った」と6代目松鶴のビデオという内容のビデオをお客さんに見てもらいました。

 ここは落語をするための場所なんだけど、今まで落語をしたことがありませんでした。で、最初にどの落語家を呼ぼうか、ものすごく迷っていたんです。でもまあ今のビデオで見たような話があったので、3代目 桂春團治師匠に来て頂くことにしました。また、落語会ということで、桂春之輔、笑福亭鶴二の二人も落語をしてくれました。その後の対談では普段は聞けない、うちの師匠と3代目春團治のことなど様々なエピソードを聞くことができました。


◆『春之輔は稽古をつけてもらったことがある!?』

 春之輔はうちの師匠(6代目松鶴)に稽古つけてもらったことが2回あるって言うてました。で、実の弟子の俺がどうかというと、一度も稽古してもらってないんです。うちの師匠がパンツ一丁で稽古つけるってことは知っていたけど、ある時こんなことがあったそうです。師匠はとても酔っていて、師匠に「眠いやろ、横になれ」と言われた春之輔は、言われるままに寝そべり、座っている師匠に稽古を付けてもらったことがあるそうなんです。ほんま、春之輔は信じられへん奴や。


◆『昔は噺家仲間がよく集まっていたなぁ』

 春團治師匠は、ここ(松鶴師匠の家)には何度か来たことがあるそうで、よく飲みにも行ったそうです。当時は噺家の数が少なかったし、両方親父が噺家だったこともあって、仲良かったんでしょうね。今では噺家みんなに会うのは、誰か亡くなったときくらいやなあって、春團治師匠は言う。


◆『桂春之輔、改め 笑福亭美鶴??』

 松鶴師匠が原因で、桂春之輔が破門にされそうになったことがあったそうだ。

高座の後、松鶴師匠わざわざ春之輔を指名して飲みに行ったときのこと。春團治師匠から電話が入った。「なにしてんねん! 内弟子やったら、はよ帰ってこい! 犬の散歩、誰がするんじゃ!」と怒鳴られた。すると松鶴師匠が電話を取り「俺は春之助と楽しく酒を飲んでたんや。何を四の五の抜かす!」と電話をたたきつけた。松鶴師匠が「あんなとこいたら、ろくなことない。うちにこい。おまえにふさわしい名前をやるわ。『美鶴』というええ名前や」と言うものだから、「ほな、そないさせてもらいます」とほいほいついていったらしい。僕にしてみたら「ついていったんかい、あほか!」って思うわな。その後、松鶴師匠の奥さんの店に行ったものの、そこで師匠や奥さんの喧嘩が始まったそうで、春之輔は仲に分け入ることもなく傍でちびちび飲んでいた、すると松鶴師匠が時計を見ながらこう言った。「こんな遅くまで飲んでて、春團治に怒られへんか」と一言。仕方なく、春之輔は春団治師匠の所に泣きながら戻ったそうだ。受け入れてはくれたものの、春團治師匠は一ヶ月、声掛けてくれなかったそうで、もう破門だと思っていたら、正月、初詣に出掛けていった師匠が、お年玉を置いていってくれた。それで「ああ、破門やないんや」ってほっとしたらしい。それにしても春團治師匠は、つくづく寛大な方や。

などなど様々なエピソードが聞けました。

 うちの師匠の松鶴と、春團治師匠の関係はやはりすごいものがありました。二人で大阪の落語を守っていこうとしていた事、そしてライバルであり、仲間であり、何よりも親友だったのでしょう。「今、こうやって松鶴の家で落語ができるなんて…」楽屋でそんな話をしていた春團治師匠は、なんともいえない表情を浮かべていらっしゃいました。

 そして今回は無理言って、師匠に寄席踊りを踊って頂くことになりました。ここでやってもらえるのは、ほんま歴史的なことですよ!今回無学にきたお客さんは、この場に一緒におれるのがすごいことです。今回のお客さんには、何年か後に「あれを見たんやな」と思えるよう、目に焼き付けて帰って欲しいと思いました。