第18回 - 川上のぼるさん(腹話術) - 2000-10-27
今回はうちの師匠ともずっと仲が良く、さらに師匠の娘さんまでもお世話になっていたというスゴイ人です。
僕もこの人の芸には子供の頃から良く見せてもらっていました。今日のゲストは川上のぼるさん、もしかしたら日本に腹話術を持ってきた一番最初の人ではないでしょうか?

 川上先生はどうして腹話術をやろう思ったのかを、そのいきさつを聞いてみた。川上先生は学生時代は進学校やったから親の反対がきつかったと話してくれました。京都府立第三中学、山城高校にいって、京都学芸大学(現教育大)にはいったそうです。そこで大学時代は作曲の方もやっていたそうです。 友達には四方おさむさん(大阪府警本部長、グリコ森永事件担当)、作家では和久俊三さんとか一緒に机並べて勉強していた。
そんな環境の中だから腹話術の練習する時、唐草模様の風呂敷に人形入れて友達に家からもって出て、自分は親に友達ところに遊びにいって来るいうて練習にいった。

 腹話術を知ったきっかけは、中学の時アメリカのラブストーリー映画を見て、プロポーズできない男が人形を使ってプロポーズをしたら成功したというシーンがあった。それを見たとき「なるほど、人形やったらいえんことも言える」と思って。最初は、進駐軍の配給の空き缶とアメゴムを使って人形を作った。でも、昔のアメゴムはゴムがゆるくて、口が開きすぎてたいへんやったと話してくれました。僕が「それやったら人形作るのめんどくさいから人間でやろうと思われなかったんですか?」と聞くと、川上先生は「後にやったけど、その時に前のお客さんが人形を持っている手がしんどくてかわいそうやっていうて、代わりにその人が人形のかわりになってあげるといってくれたんです。それでやってみたらほんまの人形よりうけた。」と笑ってらっしゃいました。「人形を使っているとたまに、人形の口を動かすのを忘れる時があります。」ともいってらっしゃいました。

 川上先生は、僕、鶴瓶が生まれた昭和26年に、朝日放送で森光子さんと第一専属でテレビデビューでスタートした。僕が「森光子さんてもう80歳ですよねーたまに楽屋でお会いしますけど、シワ一つおまへんでー」て言うと、川上さんは「森さんは京都出身で京都育ちだから、鴨川の水つかってらっしゃるから肌がきれいなんですよ。後、森さんは昔から常に恋をしてらっしゃいました。」と言いはった。川上先生は昔、森さんといっしょに仕事するとファンレターで「森さんと結婚しないで下さい。」とか「結婚したらいい子出来ますよー」と言う手紙が多かったという。一時期の松田聖子と田原俊彦みたいやねぇ(笑)。

 川上先生は、うちの師匠・6代目松鶴とも仲が良かっただけでなく、ミヤコ蝶々先生とも親交が深かったそうです。
川上先生は蝶々先生のことと6代目松鶴について語ってくれました。「蝶々先生はバイタリティがあり、仕事に情熱があり、若い者の指導がとてもうまかった。笑いの「間」をよく教えて頂いた。松鶴師匠はよく「のぼるちゃーん」と言われてかわいがられた。師匠はお酒好きで僕も好きやったんで尻についてキタ、ミナミに連れて行ってもらいました。師匠の口癖は『お代は出世払いでいい。』でした。」(笑)

 今では考えられないシステム、朝日放送専属時代の話を聞かせていただきました。
専属時代は銀行振込やった。僕は驚いて「えーその時代に振込やったんですか?失礼やと思いますが、その当時いくら頂いたんですか?」と聞くと川上さんは「昭和30年当時、1年で50万ぐらい稼いだかなー。当時サラリーマンが月一万五千円ぐらいの時ですわー。ただし専属やったんで、それ以外はどこにも出れんかった。」
そういえばうちの松鶴師匠はすぐ専属やめたらしいですわー(笑)

川上先生はずーっとマネージャーがいない。一人でやってきはりました。楽といえば楽だったそうだ。今はこの年になって仕事も減らずにやらしてもらっている。最近はボランティアも多くやっていて、警察の防犯の役にということで周ることも多いとの事。いつまでもお元気でいい芸を見せていって下さっています。
そんな川上先生の息子も腹話術をしていらっしゃいます。「息子も晩年に入ってこの道に入った。13年病院に勤めて、それでも父の仕事がしたくてずっと隠れて練習していたらしい。昔の自分ようだ。(笑)最初はこの世界は厳しいからやめときなさいと言ったが、結局は許した。この前、息子の独演会があってみんにいったけど、自分の舞台より緊張して足が震えましたわ。(笑)」と楽しそうに話してくれました。自分の息子さんが力をつけてきてるのを見るのはやはり嬉しいんでしょうね。

僕は今日、川上さんといっしょに出れるのが本当にうれしかった。川上さんは、いとしこいし先生といっしょで芸人のにおいがしないんですよねー。タイプ的にも芸人さんじゃないですもんねー(笑)