第17回 - 桂 米朝さん(落語)・桂 米吉さん(落語) - 2000-09-27
「笑福亭松鶴との出会い」

桂米朝さんは、僕の師匠、6代目松鶴の親友です。松鶴の本当の姿をしっている数少ない人物です。
今日はそんな米朝師匠に、松鶴のこと、そして米朝師匠の若い頃から現在に至るまでの話を伺いました。

 最初は、戦時中、五代目松鶴に紹介状かいてもらいそこで6代目松鶴と米朝師匠は出会ったそうです。
松鶴てどんな人でした?25歳ぐらいやったかな、若かったし、おとなしくはなかったな。いい息子さんやなーと思った。大阪が焼け野原になって亡くなった噺家も多かった。

 米朝師匠は「噺家さんになる感じじゃなかったですよねー」と語る。
米朝師匠の父親は昔、郵便局長やったそうです。米朝師匠「うちは神主やった。だから噺家になったとき、母親の面倒みれんなーとおもた。無収入やったから。だから、着物に靴はいててもあの時代誰も笑わんかった。」

 最初は朝日放送の専属タレントになった。昭和30年頃、一番最初、川上のぼるさん、森光子さんには仕事があった。その後、もう少し入れようということで中田ダイマル・ラケット、かしまし娘、作家の香川利雄、三田純一、その後6代目松鶴と米朝が入った。米朝師匠「わしはホンマは嫌やった。他局でレギュラーもってたし、だから専属は堪忍してというたが、松鶴が銭もうとったんや。
もうしゃあないがなワシもいかな・・・」(笑)

「月亭可朝との関係」

 米朝師匠はよく可朝といっしょにおった。米朝師匠「可朝と松鶴の家にいったとき松鶴が家の壁にションベンしてた。松鶴はしょっちゅうやっていた。可朝は染丸さんの弟子やった。でも、破門になって、染丸さんが私のところにきて可朝のことひきうけてくれへんかー言うて頭下げられた。
次の日、染丸さんが「可朝に米朝にたのんでやったからあっち行け」といった。そしたら、可朝が勝手に名前つけてきよった。可朝が「桂小米朝」言うて、「『小』は3文字、『米』は6文字、『朝』は12文字、倍ばいやからゲンがええ」いうて名 刺もつくってきた。ほんま強引やった。「今は『小米朝』って名前は息子がつけてるけど、どうもええ加減な名前や。」

「ざこばはだんだん常識人になってきた!」
僕がざこば兄さんは無茶苦茶な人でしょ。というと、ざこば兄さんのことについていろいろ話をしてくださいました。

 「昔、ざこば鍋をつくるいうて松方弘樹さんがつくった鍋にはいりよった。酔うてるからあつないいうて。でもからだ火傷だらけやった。でもざこばは火傷した背中みせるのが楽しみやったらしいねん。」
痔の手術した時もよう米朝師匠にみせとった。「わしも痔の手術した時、他の病院からええ仕事してるいわれた。そしたらざこばがわしの方がええ仕事してるいうて自慢しとった。」

ほんま無茶苦茶な人やで、こんな人がよう米朝師匠のお弟子さんやなぁと思いますわ。

すると米朝師匠は「もう54歳やもんなー最近少しましになってきたな。」と言いはった。(笑)

「枝雀はもう少し長生きしてほしかった。」
お亡くなりになった枝雀兄さんのことを、本当に惜しそうにお話をしてくれました。
 「枝雀は落語を一語一句おぼえていた。入門3年目までは毎日、掃除しながらでも練習しとった。
でもようーガラスわりよった。掃除機でボカボカわっとった。いろいろ考え込んで台詞が言えない時も多かった。だから、急に仕事にいけんようになってキャンセル代どれだけ払わされたか。」

米朝師匠には他にもたくさんのお弟子さんがいらっしゃいますが、今日は時間の都合で、吉朝のことまでしか聞けませんでした。

 「吉朝は犬猫が大好きやった。一時期、猫十数匹おった。近所のひとが捨てていきよった猫もかっとった。米朝師匠「一回わしの家にきて畳を爪で無茶苦茶にしよった。その時「お前猫とばっかりおるからおかしなったんかー」て言うたことあります。」

「国宝になったとき」

 「文化庁のひとから電話をもらって「えっ!わしが」てかんじやった。萬屋錦之助さんが1年はやく亡くなったので自分になった。紫綬褒章をもらって前天皇にお会いした時は緊張したなあ。食事会の時、最後にサクランボがでてそのはしに布の封筒があって「これなんでっか?」てきいたら、この中に種を入れるんですよといわれた。それが一番印象に残ってるなー。」

 米朝師匠は、普段みんなが思ってるような人ではないんです。すごいイラチですしね。と僕が言うと、「そうやねん。グズグズすんのいややねん」と笑っておっしゃっていました。この無学に来てもらって、芸人さんの本当の姿が垣間見れるのは、やはりここにうちのおやっさん(6代目松鶴)がいるからやないかなぁと思います。