第1回 - 春野百合子さん(浪曲) - 1999-06-26
無学が作れたということはうちの師匠に感謝せなあきません。この建物はもともと僕の師匠であります六代目松鶴の家の跡なんです。僕らはココで修行をしてきたんです。なぐられ、階段から突き落とされしながら師匠と一緒に生活をしてきました。僕の夢は自分たちの時代に生きていた音楽をのこしたいというのと、落語や漫才などの寄席を作りたい!というのが僕の夢やったんです。しかも寄席はその寄席の近所の人たちに観てもらうための寄席をね。いろんなところでそんな寄席を作る計画を建てていたんですが、ある日、師匠の娘さんからお電話があり、昔の師匠の形見のものがあるから引き取ってくれという内容でした。「この形見の品をたくさん処分するって事は、家はどないしたんですか?」と気になって聞いてみると「売ったんよ」。ビックリしてね。兄弟子たちに相談して、師匠の家を買い取らせてもらう事にしました。買ったはええけど、ココをどう使おうかいろいろ考えたんですが、結局小さな寄席小屋を作ることにしました。師匠にゆかりのある芸人さんたちの本当の芸を見られる場所、そして僕のお世話になった人の芸を見られる場所としてこの場所を使おうと。

 もともと、ココはある構成作家の先生から「六鶴庵」というのはどうや?といわれていて、それで行こうと思っていたんです。でも、ココのデザインをうちの西宮の家をデザインしてくれた人にお願いしました。そのときにそのデザイナーさんが前から僕に渡したい"書"があるといっていて、打ち合わせをする時にその"書"を持ってきてくれはったんです。そうするとそこには「無学」と書いてあったんです。

 僕ビックリしてね。実は僕、高校の落研の時からずっと「童貞無学」という名前を使っていたんです。ほんま何かの縁やなと感じました。そこで、構成作家の先生にすみませんといって、ココを「無学」と名前にすることにしました。 昔は長屋や町内に一件こういった寄席。

 まず始めのゲストは誰を迎えればええのかな?とずっと考えていました。師匠に関係のある人…落語会にするか?それとも、僕の知り合いの人にするか?でもやっぱりこの人しかいないなと思いました。
しかし、僕がいきなりお電話をしてココに出てくれってお願いするのもおこがましいかなと悩みました。でもやっぱりこの人しかいないと思いました。家の師匠がその人のファンで、その人のことが好きで好きで仕方がなかったからです。奥さんのあーちゃんもその人の大ファンでした。そこでおもいきってお電話させていただくと、「いつでも行かせてもらいます!」と快く引き受けてくれました。

 浪曲の春野百合子さん。今日は「樽屋おせん」をやっていただきます。

 僕は浪曲の事はあんまり良く知らないんですが、浪曲は静かに聞くんじゃなくて、演者と一緒に物語に引き込まれて楽しんでいただきたいとおもいます。

 百合子師匠は六代目松鶴の家で自分の芸を披露すると言うことでものすごく緊張されていました。ココは狭い空間なので、三味線のお師匠さんは舞台に出て三味線を弾く"出弾き"をしてもらっていたのですが、その人を紹介するのを忘れていて、枕に入ってしまいました。枕を一節唄ったところで、「いつもなら最初にご紹介するんですが…」といきなり枕の途中で合い三味線を紹介しはりました。あまりの緊張で、こんな失敗をしたのは初めての事だそうです。でもビックリしましたわ。いくら紫綬褒章をもらっているような名人もこんな事あるんですね。しかし色っぽい!お歳は72歳やのに、あの色っぽい声!これはほんまにすごい!本当の名人芸ですね。「顔にはしわがよってくるけど、声帯にはしわがよってきませんわ!(笑)」と笑う百合子師匠、やっぱりすごい!

 うちの師匠はものすごく百合子師匠の事が好きで、百合子師匠の話ではご主人共々仲良くしていたようです。よく飲みにも行っていたそうで、うちの師匠は百合子師匠に泣かされるまでのみ比べをしたこともあったそうです。

 百合子師匠はもともと浪曲をしようとは思ってはいなかったそうです。親は有名な浪曲師だったんですが、生き別れてしまいまして、興行の世界に入るのはイヤだったし、当時、戦争で工場に引っ張られていくのもイヤだったので、勉強をしていれば引っ張られていかれないので、一生懸命勉強をしたそうです。2回目の結婚をした時には、お母さんはもう死んでいなかったので、母親に教えられたわけでもないそうです。母親がなくなり、父親が経営していた劇場も事故でつぶれ、「自分の子にお乳をあげないといけないし、そのときに一席60円もらえていましたので、100円もらえたらええ」と浪曲を3ヶ月、別のお師匠さんのところへ習いにいったんです。

 「小さい頃から母の浪曲や他の人のを聞いていたから覚えるのは早かったと思います」と

 話をしてくれた百合子師匠ですが、「まさか浪曲師になるなんて!」と思っていたそうです。

 今回は普段見ることのできない百合子師匠の浪曲を観れたというのは、こういう場所を与えてくれた師匠のおかげです。六代目松鶴の家だったこの場所だからこそ、百合子師匠の素顔が見られたし、あまりなじみのなかった浪曲をこんな近くに感じる事ができたというのは嬉しい事です。ココに出てくる人はほんまもんの人のほんまもんの芸を見る場所なんです。でもココは僕がどうこうやなくて、ほんとにおやっさんがこういう風にしてくれたんやと思います。これからもこの場所「無学」をよろしくお願いいたします。