第35回 - あした順子ひろしさん(漫才) - 2002-03-30
今回は、ある番組で知り合ってから、もの凄くファンになった「あした順子ひろし」のお2人。お2人にいろんな話を聞きたくて、いろんな番組で声をかけさせてもらったが、今回是非、無学にきてもらいたいと思い来てもらった。しかし、その道中…。(※以下、敬称略)

■ 大阪の今宮と東京の浅草、どちらの匂いをもった2人。
当日、新大阪から駅員に聞いて電車で、無学までやってきた。環状線で新今宮まで来て、駅員に阪堺電車まで歩けといわれて、阪堺電車で1時間半かけてやってきた。電車でまともに来ると350分、タクシーなら30分くらいで着くのに…。なぜか、南海線では粉浜にはいかないといわれて、このようなことになったそうだ。

■ あした順子ひろし師匠の事を「さんま・鶴瓶の爆笑ヒットパレード」で初めて見たのがきっかけで、ものすごく面白いと思いました。
師匠は元々6代目松鶴とは仲良しだったそうで、6代目のことを「怖い顔だったがやさしい人だった」と語る。鶴瓶とであった頃からじわじわと有名になりだした。 

■ 2人の関係…。
 順子は、実はひろしの弟子だった。隅田川の土手で順子が14歳の時にひろしがよって来て「漫才やらないか?」といってきた。順子は昔はしゃべれなかった。


 元々踊りや歌をやっていた順子は、しゃべるなんてできるわけがないと思っていた。芸事はお金を払って習ってきたので、しゃべりにお金を払うなんておかしいと思った。それでもひろしが教えてあげるというので、ひろしに教わったそうだ。急に吹っ切れて面白くなて来たとひろしは語る。ひろしの指導は厳しく、いつも怒られていた。ひろしは、本当は将棋士になりたかった。実はひろしの兄は有名な将棋士で、兄と対極をし、無理だと宣言されて諦めた。


 2人が出会い、ずっとやってきて倦怠期の時期もあった。顔を見るのもイヤだった。男は我慢強い。女の方がすぐに文句を言うし、こういう時期はダメだという。ひろしはそんな時期がまったくなかったという。順子の独りよがりだったのかもしれない…。

■ 2人は夫婦???
2人が夫婦に思われるのがイヤで仕方がなかった。若い頃、ほかの芸人さんに「お茶でもどう?」って誘われても「いいえ、ひろしさんに怒られるから」と断っていた。今から考えると、そこまでひろしさんに気を使わなくてよかったな〜と思う(笑)

 順子は子供が一人いる。孫2人も男(24)女(20)で凄くいい子たちで自慢の子供と孫だ。


 順子は10代(昭和2?年代)で結婚、1年ちょっとで別れた。当時コントをやっていた丼3杯など古い物をやっていた。離婚後、奇術を習い始めた。再婚をし、昭和26年12月4日に子供が生まれた。(鶴瓶と同い年)。ひろしにも子供が 2人いる。芸人にはなりたくないと話している。コンビの間であまり家族の話をしないので、こうやって家族の話をするとなんか照れくさい…。

■ コント?マジック??
はじめの内は、コントやマジックをしていた。しゃべられないので、とにかくできることをやっていたそうだ。今でも少しはやるそうだ。でも基本は漫才で、順子はつっこみでひろしはボケで、今は実は70歳は過ぎているがあえて年齢は言わないで置くそうだ…。

奇術は昭和36年にやった。「松旭斎順子」として順子が奇術をし、ひろしは後見をやった。下手な後見でネタばれをしていた。ひろしはええと頃を見せようと頑張ったのだと話すが、何もかもうまく行かなかった。なぜやめたかというと荷物が重いからやめた。

漫才は何もいらないからからはじめた。ただ今はひろしがいなければならない。

この歳なのに、ネタの中で背負い投げをしている。それくらい派手な舞台をやっている。ツッコミの時に叩く音が出るほうが痛くない。地味な音が出るほうがものすごく痛いし、叩かれた方もおいしくない…。 

 つっこみは順子が好きなときに勝手にひっぱたくので、ひろしは準備が出来ていない時が多いそうだ。たまに蹴飛ばされると、ビックリする。

 実は、順子は若いとき(21)に1日女子プロレスに出たことがある。その時ひろしはレフェリーをやった。とにかく必死で習った技をかけるが、お客から「あいつよぉ、表情はいいけど、技はなぁ〜」と言われた。必死で戦って、最後にレフェリー(ひろし)を投げるって筋書きにしていた。その時に習った背負い投げを舞台でやってみたら、もの凄くウケたのでそれから10年以上も投げつづけている。角座で投げたら新聞社が、あれは名人芸だねと書かれた。
 ひろしは元々柔道をやっていたので受身をとれるので、安全だと話すが…、今の歳で大丈夫ですか?と聞くと、医者に俺がダメだというまで投げつづけろといわれたそうだ。

 ひろしは1年に2回検査をしている、実は以前胃潰瘍で倒れた、スズモトの楽屋でたおれたそうだ。ひろしさんにはあと30年は働いてもらいたいと、順子は語る。その順子は太極拳で健康だ。

 その他には、岡春夫さんの司会をしていたり、映画にも出ていた。エキストラだったが、その経緯は家の近所に撮影書画あったから手伝っていた形だった。岡春夫さんの司会はセリフが決まったいたが、「泣くな小鳩よ」という歌のときに、奇術で鳩をパッとだしたりしていた。

 他には、順子が透視術もやる外国で修行して体得してきたらしい。パントマイムや住吉踊りもやる。もの凄いバイタリティー!

■ 「たけしの誰でもピカソ」でブレイク!
誰でもピカソで2人の似顔絵を書いてくれた素人さんがいて、たけしが目をつけてくれてブレイクした。その似顔絵は顔にシワだけ書いていた。

■ もの凄く若いお二人。
順子はラジオ体操と太極拳をやっている。元々踊りが好きだったので、少し前にはパラパラにもはまっていた。ツインスターというクラブに通い、パラパラを若い子から教えてもらっておどっている。するとツインスターから招待状が来るようになった。


 神楽坂から若い子と一緒にいく。ひろしも一緒に行っておどるが、へたくそだからみんな見て笑っている。
 ひろしも男の人に習ったがやっぱりうまく行かずに、みんな笑いをこらえて踊っている。

 いとしこいし師匠もいつも新しい事を探しているが、この2人の好奇心がすごい!!


 順子は今は扇を持って「ブルース・リー」の曲で振り付けを考えていて、来年には発表し様と思っている。しかしひろしは「僕はどうにもならないから…」と話す。

■ 同期のメンバーはどうしてる?
同期のメンバーで「グループ21」というのを作っていた、コンビ10組で、1人がマネージャーで21人。他のコンビはほとんどコンビ別れしたり死んだりしていなくなった。長く続ける為には、一番は金でもめるとダメになると思うので、金はひろしにまかせているそうだ。

■ 志ん朝さんの最後の舞台…。
志ん朝さんは最後の舞台で「私は今日でおわり。私は病院に行きますけど、みなさんは打ち上げをやってください」といわれた。そしてそのまま…。

志ん朝さんとのコントは24時間やってきた感じだ。「出来ない人がいないとできる人が目立たない」とひろしをうまく使ってコントを作ってくれた。

 いつまでも元気なお2人。見るだけで楽しいすばらしい漫才を是非みなさん御覧ください。